袖はなくとも振りたい

アウトプット用に作りました。Laravelのこととか書きます。

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その3

手術後、次にご飯が口にできたのは朝ごはん

ではなく、昼ごはんでした。

 

朝6時を迎え、朝食の7時まであと1時間……

という希望を打ち砕かれた私はさらにプラス6時間の耐久を強いられたのでした。

 

点滴のせいでおかげで喉の渇きはないものの

スポーツドリンクの追加を購入してもらい、それを舐めていました。

頭の横においたボトルに手を伸ばし、

キャップを取ってこぼさないように飲んで戻す。という一連の流れ一回に

40秒から1分はかけていたんじゃないでしょうか。

思うように体が動かないおじいちゃんごっこなう とか考えていられるあたり

まだわりと余裕はあったんでしょうか。

 

ふざける余地がある間はそんな気分ではあったんですが

ふと息をつくと、この状態のままあんまり回復しなかったらどうしよう

仕事ができなくなったらNA MA PO 的なやつにジョブチェンジかな

とも思いつつも、おそらくこれまでのような機敏な動きでゲームをすることも

できないんだろうな……と思うと心の汗を感じました。

 

ゲームし放題なかわりに今ひとつ体動かないぞ

と言われると、体が動く方がいいにきまってんだよな。と思えるくらいには

不自由な体はしんどかったです。

 

それでも朝を迎えて携帯を手にしてからは、

さほどの苦しみを味わうこと無く昼を迎えることが出来ました。

 

なろうリーダーで小説家になろう作品を読んでいるうちに

空腹を超える体力の限界を迎え、

うとうととゆっくり眠りに落ちることが出来ました。

 

ゆるやかに眠りに落ちるあの感覚は、

全身麻酔にオチるあの瞬間とやっぱりよく似てたような気がします。

痛みを伴わない死の瞬間もこんな感じならそんなキツくないな

なんておセンチなことがよぎったこともありました。

 

別に手術で内蔵ボッコボコにしたで とかではなく

おなかのわきちょっと(13センチくらい?)切り開いてパカパカしたのと

ちょっと腎臓の組織のために針ブッサブッサしたくらいなので

そんなに死を意識するようなものではなかったはずなんですけどね。

 

ついでに言うと、脇腹13センチパカパカしただけですんごく痛いので

おおよそ一般的な人であればちょっとした戦闘でも

切りつけられたくらいで戦闘不能には余裕でなります。

 

アドレナリンがどうたらとかあるんですぐは動けるかもしれないんですけど

筋繊維切られるとびっくりするくらいそこが動かないので

戦闘の翌日あたりに

「そんな怪我してるのに無理しちゃダメ!」

「いや、この程度なんてことはない、行くぞ」

みたいな会話して颯爽と戦闘へ とか無理無理カタツムリですよ。

 

リアル寄りだったら普通に2~3週間は安静にしといてください。

ファンタジー裂傷であったり、回復魔法がある場合はその限りではありませんが

とくに現代から転生してきたマンにはオススメできません。

僕は転生してもよっぽどお膳立てがないとTUEEはできなさそうです。

 

 

さて、目が覚めたところでお待ちかねの食事がやってきました。

食事、とは言ってもおもゆとか言うおかゆをさらにお湯で煮たやつっていうか

炭水化物をちょっと混ぜてみました湯 みたいなものが出てきました。

おかずは醤油の香りを感じることができそうな気がする味付きのお湯と

シーチキンほぐしてとろみのついたお湯に入れてみました。

みたいな感じの食事でした。

 

お湯ばっかじゃねぇか……

と思わないでも無かったんですが、とにかく今は胃に何か入りさえすれば……と

ひたすらかきこもとうしたところ、

なんとあんなに待ちわびた食事(湯)がなかなか入っていかないのです。

 

このときはDANJIKIの成果でダイエットモード突入かと思っていました。

なかなか食べれなくても食べないことには生きてはおれぬので

ひたすらスプーンをぺろぺろし続けることで難を逃れました。

 

あとでわかった?んですが

どうも腹をかっさばいたあと内臓の位置がうごいたりなんだりで

正常なときのように胃が膨らんでいないっぽいな と自分では感じていました。

正確な所はわからないんですが、どうも胃というか、

食道からそもそもぺたんこになってるような気持ち悪さがあり

なかなか食事が喉を通りませんでした。(物理)

 

これまで美味しいもの大好きおじさんであった僕としては

マジ食事喉通らない状況は初体験で困惑していました。

 

この喉通らないモードはかれこれ数日続き、

固形の食事を許された直後は食事をなんとか食べきるまでに

1時間以上はかけていたのが今は懐かしいです。

 

ちなみに、お湯のフルコースが一日3食出ている間は

トイレにお世話になることはありませんでした。

 

やっぱ食わなきゃ出ないんだな……

という感動があったこともここに付け加えておきます。

 

続く