慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その2
第2話 地獄の手術前後の巻
さて、入院することになったので
諸々の準備を終えました。
入院の際に必須だったのは
・パジャマ(前がボタンとかであくもの)
・歯磨きセット
・箸
・はきもの(かかとがあるやつ、脱げて転ぶと危ない)
・携帯の充電器(重要)
・たくさんのタオル
必須じゃないけど持ってったものは
・ふりかけ(ご飯が不味い時用)
・ノートとペンとか(辞世の句用)
・ノートPC(ひまだろうしなろう作家になろう とか思ってました)
諸々の準備を万端にし、
手術の3日くらい前に入院。
事前検査と親族への説明、
手術への同意やらなんやらを経て無事にベッドにIN
4人部屋だったりするので、
まわりのおっちゃんの引き出しの開け閉めの音がすこぶるうるさいのにイライラしながら
ベッドに横になってしこたまグラブルしてました。
いよいよ翌日に手術を控えた夜
最後の晩餐をぺろりと平らげた後
かなり念を押されました。
「これから手術が開けるまで何も食べてはいけません
手術の朝7:00までにこの水を全部飲んでおいて下さい」
どうも話を聞くと、手術前のご飯なしどころか
手術後も絶食をキメなければいけないようで
今となっては苦しすぎて正直1日絶食だったのか
2日絶食だったのかも正直思い出せないんですが
とりあえず絶食やで ということだけ強く耳にのこったまま
手術室へと連行されていったのでした。
手術室のベッドに横になり、準備が終わるまで
天井のシミを探していたところ、
麻酔の用意ができたということで、
口に酸素マスク的な物を当てられました。
そこからはなんかもうほわーっていうかすやーっていうか
よく覚えていません。ガンギマリだったんでしょう。
次に目が覚めた時、手術は無事終わっていました。
いつの間にか口には吸気用のホースが
「ぬきますよ~いいですか~」
同意を求められても麻酔がキマっているので
正直頷けたかどうかもわからないですが、
次の瞬間には勢い良くホースが抜かれました。
ホースが空気を吸いながら抜けていくので
自分の喉からはこの世のものとは思えぬ叫び声が上がっていました。
体動かなかったけどビビってました。
手術後ひたすらふにゃふにゃしていたんですが
待機してくれていた家族が帰った後
徐々に麻酔が切れてきました。
人生で初の(物心ついてからは)お腹かっさばきだったので
脇腹にはこれまで受けたことのない切り傷が出来ているわけです。
これが何ていうか熱いし痛いし、
更に言うと何故かもう全身が痛い。
動こうとすると腹はもちろん背中も痛いし、
肩とかなんでか分からないけどめちゃくちゃ痛い
よく寝ているときに背中が熱くて横になったりするんですが
横を向くことも出来ない。
股間にはいつの間にかカテーテルも仕込まれており
トイレには行かなくても平気
腕には点滴がついている。
あとになってわかったんですが、この時の点滴が栄養の無いいわゆる水だけ点滴でした。
くるしいよぉ これいつかなんかに書いて公開しよ……
とか意外と平気そうな考えをしてられたのは最初だけでした。
夜中になると今度は絶食がジワジワと効いてきます。
空腹感がMAXになり、腹と背中の境界がわからなくなった頃にはすでに夜。
周りに迷惑はかけられないので最小限の唸り声を上げながらナースコールをなんとかポチり
あんですかぁ~ と来てくれた看護師さんにお願いし、
スポーツドリンク的な物を買ってきてもらいました。
あまりの空腹と痛みに眠ることも出来ず、
スポーツドリンクをちびちび舐めながら朝を迎えるまで約10時間をひたすら耐え続けていました。
この時がおそらく人生で一番つらい(物理)ときでした。
体に傷があるんだからお腹いっぱいのほうが治りやすいんちゃうの……
ほら、ゴム人間とか見ろよ、飯は体を救うんだよ……とか
マジで楽しいこと老後にとかむりむりカタツムリだわ
退院したら即焼肉パーティだこんちくしょう とか
とにかく何か考えて気を紛らわせることだけで精一杯でした
ろくに体が動かせなかったので、携帯も手元にない状態というのが致命的でした。
まぁ手元にあったところで空腹で気を狂わせていたのは間違い無いと思います……
もしコレを読んでいて、
僕も今から入院なんだ☆ って感じの人がいたら
絶食を伴う手術の時には点滴をエネルギッシュなものでお願いするのを忘れないようにして下さい。
次の治療でもう一回全身麻酔と絶食のコンボをキメる機会があったんですが、そのときは点滴エネルギーで平気でした。
楽しい入院生活はまだまだこれからだったのです。
続く