袖はなくとも振りたい

アウトプット用に作りました。Laravelのこととか書きます。

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その7

また更新が止まる前に、とっとと行くとこまで行ってしまいましょう。

 

三度目の入院はこれまでの病院とは別の場所での治療になりました。

腎臓系のステロイドパルスという療法は前の病院では基本やっていないそうで、そのための病院変更でした。

建物自体は古めかしかったものの、毎日お茶を持ってきてもらいひたすら飲んではおしっこを出す尿製造機となっていました。

 

ステロイドパルスというのがどういう治療なのかというと

大量のステロイド剤の入った点滴を3日間連続でぶちこみ、その後4日間はなにもせず過ごす。というのを何度か繰り返す治療でした。

 

事前の説明で聞かされた副作用は

・ご飯いっぱい食べたくなるかも

・体中にできものできるかも

・視力落ちるかも

という感じでした。

視力については目の機能が落ちるんだったか、目がとろけてくるんだったかちょっと覚えてはいないんですが、定期的に眼科へ行っては眼圧検査という目にパンっと空気をかけられる検査をやりました。

 

あの当時は特に変化がなかったので、各副作用も大したことないな。と思ってはいたんですが、やはり視力の方には多少影響が出ていたのか、両方1.0を誇っていた両目が今となっては0.7程度になり、メガネ生活を始めることに。

 

このときの入院で印象的だったのは、大部屋(6人)の一番奥で治療を受けていたあんちゃんでした。

自分がいた部屋は基本的に腎臓がアカン人たちばかりで、おかしくなる前に治療しようね。というタイプは僕だけでした。

 

あんちゃんと看護師さんの話し合いは特に耳を澄まさなくてもよく聞こえてくるレベルのカーテンの薄さだったので、当時の古戦場でひたすら犬と戯れながらその話を聞いていました。

 

彼はお酒が大好きで、ひたすら酒を飲み続けていた事が災いし、腎臓をぶっ壊したようでした。

どうもまだ30にも満たないくらいの年齢だというのに透析が確定してしまったらしいです。

※透析というのは腎臓が血を濾過する機能が落ち、血液を正常に保てなくなった人が生きていくために、体外に血を出し、濾過してから戻す装置をつけること。

 

透析は相当しんどい上に、結構な頻度でやらなければいけない。

さらにそれがもう死ぬまで一生の付き合いになる。

ということで、あんちゃんは今後の辛さを思いながら毎日泣いていました。

 

泣いて、慰められながら、どうしたら立ち直れるか。

という話を看護師としているわけですが、よくよく聞いてみるとなんかおかしいな…?と

アルコールが原因だからもうだめだよ、飲めないよ。という説得をされ、じゃあノンアルコールならいい?という交渉をしているのがあんちゃんの強いところでした。

恐るべしアルコールの魔力。

最終的にはノンアルも飲みたくなるから辞めなさいと説得されて退院していきました。

 

退院のとき、お騒がせしました。これよければ…といって僕にくれたあのほぼ未使用のテレビカードは、僕も使わなかったので払い戻し機で現金になり、毎日のおやつのモッツァレラチーズに変わりました。

 

ごちそうさま!あんちゃん!

酒はほどほどにな!

 

ステロイドパルスの治療が予定の3セット終わり、退院となりました。

入院治療はこれで全て終わりです。

体にできものができることもなく、食欲が溢れて止まらないということもなかったので、グラブルし放題なだけの3週間でした。

 

その後はもとの病院へ戻り、最初の内科主治医との経過観察を行う日々です。

1ヶ月に1回投薬量を調整するべく通院をしていますが、だいたい1年ほどたった今では尿所見も落ち着いてきました。

完全に問題ないところまでは来ていないですが、いろいろなものが正常範囲まで収まっていく経過を見ると毎月安心できました。