袖はなくとも振りたい

アウトプット用に作りました。Laravelのこととか書きます。

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その6

だいぶ更新をサボりました。

 

さて、お腹かっさばいて退院後家に戻ってきました。

このときに辛かったのがやはりお腹を一度開けたことによる痛みでした。

 

痛みも数種類あり、まず傷口が痛い。

あとはあまり体を動かせない毎日が続いていたというのもあり、頑張って起きたりすると筋肉痛になって痛い。

さらには開けられたお腹には空気が入ったせいか、こうなんて言うんでしょう、固定されていた内臓がそれぞれ剥がれ、お腹の中でゴロンゴロンと転がりまわる感触があってすごく気持ち悪い。

 

特に内蔵が動く感触は相当なもんで、

「ゾンビになるとこんな感じなのか…」と思いました。

あの筆舌に尽くしがたい感触はぜひ誰かと語り合ってみたいものです。

 

退院後はリハビリと称し、極力あるき回るんだぞ

と医師から言われていたので、歯を食いしばり、内蔵を転がしながらお散歩と洒落込んでいたのですが

二足でたち、歩いていると何故か右肩の神経が引っ張られるような鋭い痛みが走るのです。

いろいろと調べたところ、どうもこの右肩の痛みは内臓が転がっているのが原因のようでした。

 

内蔵の位置が固定されていないので、横隔膜当たりをトランポリンにしているのか(適当です)

とにかくなんらかの神経が実際引っ張られているのが原因で右肩が痛んだのでした。

同様の症状は妊婦や産後の母親に見られるそうで、お腹の中のなにがしかが神経を引っ張るとそうなる。ということなんですね。

検査でお腹を開いただけで、母の気持ちも一部味わうことができたのです。

 

だいたい3週間ほどかけてよちよち歩きを卒業し

次の入院が決まりました。

 

次は何をするかというと、検査の結果判明した

IgA腎症の原因となっていた扁桃腺の摘出手術です。

扁桃腺の摘出自体はよくある手術だそうなので、これといって特筆することはないんですが、

これまた全身麻酔をかけ、口パカーひらいてずばっとやったもんだから、口の中が痛い……

 

脇腹を開けたときは胃が潰れてご飯が食べられなかったけど

今度は喉が痛くてご飯が食べられない。

しばらく流動食をペロペロする生活をし、これが終わったら肉とか魚とか食いまくるんだ……と強く思いながら

なんとか耐えに耐えていました。

 

あっという間に二回目の入院も終わり、帰宅。

ここで一度短期間ではありますが職場に復帰をしました。

 

扁桃腺の摘出による声の変化で、素敵なオジサマボイスが手に入ることも夢見ましたが、特に変わってはいないようでした。

自分としてはやや変わったような気がしないでもないんですが…

 

三回目の入院の日取りが決まり、またお休みをください。と申請し次の入院へ。

最後はいわゆる投薬治療。ひたすらステロイドを体にぶち込み続ける日々が待っていました。

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その5

そう、忘れていたのですが

全身麻酔で手術をしていた関係上

呼吸に関するものは鼻からTUBEを突っ込んで

メカですーはーしてもらっていました。

 

手術前、医師の説明の中にあった

医療大学生のテクニック向上のため実験台になってくれ

の書類に いいぞ って書いたのもあり

おそらくフレッシュボーイもしくはガールがぼくの鼻にTUBEを

ブチ込んでくれていたのだと思います。

 

それが原因かはわかりません。

わかりませんが

おそらく突っ込んだモノが鼻の粘膜をやっちまったのでしょう

 

意識を取り戻してからしばらく、

ゆうに3日ほどでしょうか、めっちゃくちゃねばついた鼻水が

無限に溢れ出してきていました。

 

マジでこれ溺れて死ぬんじゃねぇか

という恐怖がすごかったです。

 

ちょうどこんなものをブログで読んで少しした頃だったので

『ヌタウナギ』を生のまま口に入れると「延々口からスライムを吐く生き物」にされるらしい - Togetter

こんな感じか……ヌタウナギまじこええと思いながらずっと口から鼻スライムを吐き出し続けていました。

 

これが四六時中出っぱなしなもんで、

ナースコールでミニバケツみたいなものをもらい

それにおえおえ

ティッシュにおえおえ

横向いておえおえ

おえおえおえおえお

 

正直くせーしとまんねーし

喉の方に流れていっても飲み込めなさそうだし

これうっかり眠って仰向けになって

全部喉に流れてきたら……死ぬ! マジで死ぬ!

 

今思い出してもアレの恐怖感たるや半端じゃないですね。

ナースコールもあるし、心電図も図ってるから

うっかり窒息しても誰か助けに来てくれるんでしょうが

うっかり夜勤マンがうっかりしてたら死ぬ

 

そんなことを考えながら目からスライムを流し

口をベッドの端の方にもっていって眠ってからスライムが出てきても

窒息しないように……みたいなことを体の悲鳴を聞きながらやっていました。

 

 

すげー量のスライムがでんだよこえーだよオラほんとあああ

って訴えかけてもまぁよくあることよみたいな感じで

はいはいおじいちゃん落ち着いて忙しいの

みたいな対応をされた(ような気がするだけで多分普通の対応でした)ので

絶望のスライム第2章の始まりだ……って感じでした。

 

 

何が言いたいかって言うと、

多分ぼくは次は学生の実験台をOKしないです。

実際この次の入院で全身麻酔キメたときはOKしなかったです。

 

幸い二回目はスライム製造機にはならずにすみました。

それが学生のせいだったかどうかは今でもわかっていませんが

(忘れていたけど)入院の怖さがそこにありました。

 

おめーそんなに粘液出して水分大丈夫なのかよ

っておもうくらいおえおえしてましたが

何分点滴っていう補給装置もついていたので、

お代わりし放題でした。やったぜ

 

 

そんなこんな事があり、

ひとまず開放腎生検による検査のための切腹

それに伴う療養の入院生活もいよいよ終わりを迎えるのです。

 

振り返ってみればこの初回入院っていうか

検査のためのかっさばきで受けたダメージと状態異常が

治療生活の中でトップオブトップにしんどい事象だったんですが

このときの僕は経験値が少なかったので

次も入院して治療あるんだよな……とか

これやってみて腎臓からそれっぽい細胞とれなかったわw

とか言われたらマジどうしよう……って感じでした。

 

いざ、自宅へ。

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その4

最初の入院は2週間ほどだったでしょうか

過ぎてみればおもったよりも短い時間で退院なんだな

という感じでした。

 

尿カテーテルが外れ、トイレに自分で行けるようになっても

ベッドで体を起こすのに2~3分

立ち上がるまでに2~3分

トイレまで2~3分

みたいなゆるやかさで震えながら移動し

カテーテルを突っ込まれたことで散らされた尿道が痛みを訴える中

どうにかして用をたし、改めてベッドへ戻っていく……

 

みたいなことをしたり、

歩けるだけあるきましょうね~

寝てるだけだと治り遅いのでね~

って言われて、待合室までよろよろと歩いていく(片道7分くらいかけて)

というのを地道にやっていました。

 

リハビリとやらはこんな気持ちなのか……とあの時は思っていましたが

辛いとかなんでこんな目に……とかは全く思わず

どっちかというと、この体験を元になんかお金稼げないかな

くらいに思っていました。

 

さて、退院までの間の体の様子ですが

切った脇腹が痛い、と言うのはもちろんなんですが、

体験して初めてわかったことが幾つかありました。

 

自分はこうだった。というだけですべての人に当てはまるわけでは無いと思いますが

まず1つに、その3でも少し書いた、

手術後は胃が潰れてご飯が食えない(と思う)という事

お腹は減っているし、気持ち的にはバクバク食べたいんだけども

すこしずつお腹にご飯を入れてもすぐにいっぱいになってしまうのです。

固形物を飲み込むのもなんとも大変で辛かったです。

 

もう1つはこれも自分の想像が入っているのですが

体を切り開いたことで体内で上手いこと収まっていた内蔵が動いたのだと思います

横になって寝返りをうったり、体を起こして立ち上がったりする度に

内蔵共がごろりと動くような嫌な感触がありました。

 

医師に相談したら、あんまり聞いたこと無いねぇ

しばらくしたら定着するよ~みたいなことを言われたんですが

これ通常アカン位置で定着したらどないしよ……とちょっと不安になりました。

ちなみに今は恐らく正しい位置で定着してくれていると思うので大丈夫です。

 

この内蔵コロリン状態は退院後もしばらく続きました。

だいたい1ヶ月くらいは気持ち悪かった気がします。

 

内蔵コロリンの副作用として面白かったのが

立ち上がってあるき始めると右肩が異常に痛くなることでした。

色々ググったところ、どうやら内蔵のあたりの神経が刺激されると

回り回って右肩が痛くなることでした。

なおその情報は妊婦さんたちがそう言う経験をするらしい

というところから来たので、僕は実質妊婦の気持ちも味わったといえましょう。

 

退院後も回復に向けた散歩が必要だった期間は

クッ……今日も右肩がうずきやがるぜ……

って感じでした。 特に雨の日とかは関係なく痛かったです。

 

そして、このブログをここまで書いていて

最初の手術の後しんどかった要因の一つを思い出しました。

 

あれほど、あれほどしんどかったのに今まで忘れていたのはなぜなんだろう

脇腹かっさばいた後、最もしんどいと思わせる原因となったのは鼻だったのです。

 

続く

 

 

このブログを読んでくれた友人数人に

話が怖いと言われました。

 

別に怖くないだろ と反論した所

明日は我が身かと思うと怖い とのこと

 

不摂生、体力低下、筋力低下……

体を壊さないようにしないとですねぇ……

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その3

手術後、次にご飯が口にできたのは朝ごはん

ではなく、昼ごはんでした。

 

朝6時を迎え、朝食の7時まであと1時間……

という希望を打ち砕かれた私はさらにプラス6時間の耐久を強いられたのでした。

 

点滴のせいでおかげで喉の渇きはないものの

スポーツドリンクの追加を購入してもらい、それを舐めていました。

頭の横においたボトルに手を伸ばし、

キャップを取ってこぼさないように飲んで戻す。という一連の流れ一回に

40秒から1分はかけていたんじゃないでしょうか。

思うように体が動かないおじいちゃんごっこなう とか考えていられるあたり

まだわりと余裕はあったんでしょうか。

 

ふざける余地がある間はそんな気分ではあったんですが

ふと息をつくと、この状態のままあんまり回復しなかったらどうしよう

仕事ができなくなったらNA MA PO 的なやつにジョブチェンジかな

とも思いつつも、おそらくこれまでのような機敏な動きでゲームをすることも

できないんだろうな……と思うと心の汗を感じました。

 

ゲームし放題なかわりに今ひとつ体動かないぞ

と言われると、体が動く方がいいにきまってんだよな。と思えるくらいには

不自由な体はしんどかったです。

 

それでも朝を迎えて携帯を手にしてからは、

さほどの苦しみを味わうこと無く昼を迎えることが出来ました。

 

なろうリーダーで小説家になろう作品を読んでいるうちに

空腹を超える体力の限界を迎え、

うとうととゆっくり眠りに落ちることが出来ました。

 

ゆるやかに眠りに落ちるあの感覚は、

全身麻酔にオチるあの瞬間とやっぱりよく似てたような気がします。

痛みを伴わない死の瞬間もこんな感じならそんなキツくないな

なんておセンチなことがよぎったこともありました。

 

別に手術で内蔵ボッコボコにしたで とかではなく

おなかのわきちょっと(13センチくらい?)切り開いてパカパカしたのと

ちょっと腎臓の組織のために針ブッサブッサしたくらいなので

そんなに死を意識するようなものではなかったはずなんですけどね。

 

ついでに言うと、脇腹13センチパカパカしただけですんごく痛いので

おおよそ一般的な人であればちょっとした戦闘でも

切りつけられたくらいで戦闘不能には余裕でなります。

 

アドレナリンがどうたらとかあるんですぐは動けるかもしれないんですけど

筋繊維切られるとびっくりするくらいそこが動かないので

戦闘の翌日あたりに

「そんな怪我してるのに無理しちゃダメ!」

「いや、この程度なんてことはない、行くぞ」

みたいな会話して颯爽と戦闘へ とか無理無理カタツムリですよ。

 

リアル寄りだったら普通に2~3週間は安静にしといてください。

ファンタジー裂傷であったり、回復魔法がある場合はその限りではありませんが

とくに現代から転生してきたマンにはオススメできません。

僕は転生してもよっぽどお膳立てがないとTUEEはできなさそうです。

 

 

さて、目が覚めたところでお待ちかねの食事がやってきました。

食事、とは言ってもおもゆとか言うおかゆをさらにお湯で煮たやつっていうか

炭水化物をちょっと混ぜてみました湯 みたいなものが出てきました。

おかずは醤油の香りを感じることができそうな気がする味付きのお湯と

シーチキンほぐしてとろみのついたお湯に入れてみました。

みたいな感じの食事でした。

 

お湯ばっかじゃねぇか……

と思わないでも無かったんですが、とにかく今は胃に何か入りさえすれば……と

ひたすらかきこもとうしたところ、

なんとあんなに待ちわびた食事(湯)がなかなか入っていかないのです。

 

このときはDANJIKIの成果でダイエットモード突入かと思っていました。

なかなか食べれなくても食べないことには生きてはおれぬので

ひたすらスプーンをぺろぺろし続けることで難を逃れました。

 

あとでわかった?んですが

どうも腹をかっさばいたあと内臓の位置がうごいたりなんだりで

正常なときのように胃が膨らんでいないっぽいな と自分では感じていました。

正確な所はわからないんですが、どうも胃というか、

食道からそもそもぺたんこになってるような気持ち悪さがあり

なかなか食事が喉を通りませんでした。(物理)

 

これまで美味しいもの大好きおじさんであった僕としては

マジ食事喉通らない状況は初体験で困惑していました。

 

この喉通らないモードはかれこれ数日続き、

固形の食事を許された直後は食事をなんとか食べきるまでに

1時間以上はかけていたのが今は懐かしいです。

 

ちなみに、お湯のフルコースが一日3食出ている間は

トイレにお世話になることはありませんでした。

 

やっぱ食わなきゃ出ないんだな……

という感動があったこともここに付け加えておきます。

 

続く

 

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました その2

第2話 地獄の手術前後の巻

 

 さて、入院することになったので

諸々の準備を終えました。

 

入院の際に必須だったのは

・パジャマ(前がボタンとかであくもの)

・歯磨きセット

・箸

・はきもの(かかとがあるやつ、脱げて転ぶと危ない)

・携帯の充電器(重要)

・たくさんのタオル

 

必須じゃないけど持ってったものは

・ふりかけ(ご飯が不味い時用)

・ノートとペンとか(辞世の句用)

・ノートPC(ひまだろうしなろう作家になろう とか思ってました)

 

諸々の準備を万端にし、

手術の3日くらい前に入院。

 

事前検査と親族への説明、

手術への同意やらなんやらを経て無事にベッドにIN

 

4人部屋だったりするので、

まわりのおっちゃんの引き出しの開け閉めの音がすこぶるうるさいのにイライラしながら

ベッドに横になってしこたまグラブルしてました。

 

 

いよいよ翌日に手術を控えた夜

最後の晩餐をぺろりと平らげた後

かなり念を押されました。

 

「これから手術が開けるまで何も食べてはいけません

 手術の朝7:00までにこの水を全部飲んでおいて下さい」

 

どうも話を聞くと、手術前のご飯なしどころか

手術後も絶食をキメなければいけないようで

今となっては苦しすぎて正直1日絶食だったのか

2日絶食だったのかも正直思い出せないんですが

とりあえず絶食やで ということだけ強く耳にのこったまま

手術室へと連行されていったのでした。

 

手術室のベッドに横になり、準備が終わるまで

天井のシミを探していたところ、

麻酔の用意ができたということで、

口に酸素マスク的な物を当てられました。

 

そこからはなんかもうほわーっていうかすやーっていうか

よく覚えていません。ガンギマリだったんでしょう。

 

 

次に目が覚めた時、手術は無事終わっていました。

いつの間にか口には吸気用のホースが

 

「ぬきますよ~いいですか~」

同意を求められても麻酔がキマっているので

正直頷けたかどうかもわからないですが、

次の瞬間には勢い良くホースが抜かれました。

 

ホースが空気を吸いながら抜けていくので

自分の喉からはこの世のものとは思えぬ叫び声が上がっていました。

体動かなかったけどビビってました。

 

手術後ひたすらふにゃふにゃしていたんですが

待機してくれていた家族が帰った後

徐々に麻酔が切れてきました。

 

人生で初の(物心ついてからは)お腹かっさばきだったので

脇腹にはこれまで受けたことのない切り傷が出来ているわけです。

これが何ていうか熱いし痛いし、

更に言うと何故かもう全身が痛い。

 

動こうとすると腹はもちろん背中も痛いし、

肩とかなんでか分からないけどめちゃくちゃ痛い

 

よく寝ているときに背中が熱くて横になったりするんですが

横を向くことも出来ない。

 

股間にはいつの間にかカテーテルも仕込まれており

トイレには行かなくても平気

腕には点滴がついている。

あとになってわかったんですが、この時の点滴が栄養の無いいわゆる水だけ点滴でした。

 

くるしいよぉ これいつかなんかに書いて公開しよ……

とか意外と平気そうな考えをしてられたのは最初だけでした。

 

夜中になると今度は絶食がジワジワと効いてきます。

空腹感がMAXになり、腹と背中の境界がわからなくなった頃にはすでに夜。

周りに迷惑はかけられないので最小限の唸り声を上げながらナースコールをなんとかポチり

あんですかぁ~ と来てくれた看護師さんにお願いし、

スポーツドリンク的な物を買ってきてもらいました。

 

あまりの空腹と痛みに眠ることも出来ず、

スポーツドリンクをちびちび舐めながら朝を迎えるまで約10時間をひたすら耐え続けていました。

 

この時がおそらく人生で一番つらい(物理)ときでした。

 

体に傷があるんだからお腹いっぱいのほうが治りやすいんちゃうの……

ほら、ゴム人間とか見ろよ、飯は体を救うんだよ……とか

 

マジで楽しいこと老後にとかむりむりカタツムリだわ

退院したら即焼肉パーティだこんちくしょう とか

 

とにかく何か考えて気を紛らわせることだけで精一杯でした

ろくに体が動かせなかったので、携帯も手元にない状態というのが致命的でした。

まぁ手元にあったところで空腹で気を狂わせていたのは間違い無いと思います……

 

もしコレを読んでいて、

僕も今から入院なんだ☆ って感じの人がいたら

絶食を伴う手術の時には点滴をエネルギッシュなものでお願いするのを忘れないようにして下さい。

 

次の治療でもう一回全身麻酔と絶食のコンボをキメる機会があったんですが、そのときは点滴エネルギーで平気でした。

 

楽しい入院生活はまだまだこれからだったのです。

続く

 

 

慢性糸球体腎炎(IgA腎症)なるものになりました

第1話 開放腎生検の巻

 

厳密に言えばだいぶ前からなっていました。

 

健康診断で、結構昔から尿検査で引っかかっていたんですが

色々と自分の立ち位置的なものがかわり、

いい加減健康に対してちゃんと向き合うか……と決意し

毎年引っかかっていた尿検査について、クリニックで見てもらった所

 

「あーこれは腎臓ですね、もっとちゃんと調べて見たほうがいいかと思います」

と言われ近場のBigな病院を紹介されることに

 

この段階では

「腎臓か……内蔵はどんな屈強な者でも鍛えられぬ……」

とか思っていたんですが、病院で精密な検査を受けた所

 

「慢性糸球体腎炎かと思いますね。

 ただそうと確定させるには検査手術が必要で……」

 

という説明をされました。

「手術か……仕事休めちゃうな……」

くらいに考えていました。

 

最初の説明では

「背中のあたりからボールペンの芯くらいの太い針をね

 ダーンと刺して、腎臓の組織をなんぼか採取するのね

 で、採取した組織を検査して、どんな病気かってのを確かめるわけ」

という感じでした。

 

この時の詳しいリスク的な説明であったのは以下の通り

・針でダーンと刺すときに腎臓の悪くなっているところにあたるかどうかは

 やってみて検査してみないと分からない。

 (だいたい取れるから大丈夫だと思うけど絶対とは言えない)

・諸々の条件に一致しない場合はお腹パカーと開いて直接採取することもある

・針ダーンと刺したあとに出血が止まらなかったりするとお腹がピンチになることも

 まぁそうなったらすぐ対処するから突然死んだりはしないよ

 

みたいな。

最初はマジか……もしやべーことになったらやべーじゃん……

って感じで狼狽えたものの、

しかしコレをやらないことには腎臓は悪化の一途を辿る

と思うと結局はそれでいいっす……と答えざるを得ない

ま、なんかやらかされたら訴えてそれで残りを生きよう。

みたいな嫌すぎる肝の座り方をしていたというのもあります。

 

この段階で判明していたのは

慢性糸球体腎炎 という症状であることでした。

最終的にはIgA腎症だね という話にはなるんですが、

今のところは慢性糸球体腎炎と思われていました。

 

慢性糸球体腎炎が何かというと

腎臓にある糸球体というところが慢性的に炎症をおこしているよ

という病気で、ほっとくと

腎臓の機能を果たすことができる部分がゆるやかーに減っていって

20年後には人工透析だね! って感じでした。

人工透析になると、機械を使って血液を入れ替えるようになるため

正直しんどい。という感じの生活が約束されてしまうということでした。

 

自分としては10年以上ほっぽいて置いたのに

まだ20年も余地があるのか……とよくわからない感動をしていましたが

今のうちに処置すれば色々なんとかなりそう。

ということだったのでありがたいことでした。

 

さて、腎臓の組織を取る手術(処置)のことを

腎生検 と呼ぶらしいのですが、この前段階の検査のひとつに

血が止まりやすいかどうか を調べる項目がありました。

 

やりかたは、耳たぶをカッターの刃のようなものでチクっとやり

それが止まるまでの時間を計る と言うものだったんですが

自分の場合、耳に刃物が近づいて、それが耳を……切った!!!

 

みたいなのを嫌ーに想像してしまったので

一気に血の気が引いちゃって、その場でスーッっと意識を失いましたw

一瞬のことで、次の瞬間にはあ、囲まれてる

あ、近くのベンチに移動させられてる。

みたいな感じですぐ意識を取り戻しはしたんですが、

病院の評価的には

「コイツ血だめだわ、すぐ気失いよる」

って感じの低評価だったために、

背中側から針をぶすっと という腎生検をやらない事になりました。

 

背中に針やってるときに意識失われるとマジ困るから

というのが理由の一つだったのと

耳たぶの出血が止まるのもそんな早くもないというのが理由だそうです。

 

つまるところ医師が出した結論は

腹かっさばいて腎臓にダイレクトアタックだ!

でした。

 

それを聞いた段階では

「あー、始めての経験だな。

 まぁ全身麻酔ってことだし、起きたらグラブり放題じゃん

 今のうちに入院中にどうやって遊ぶか考えとかないと!」

と思っていました。

 

今現在、色々な治療がだいたい終わって

薬をのみ続けている状態ですが

この時の手術後から退院までが一番の地獄でした。

 

続く